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2006年12月20日
KO-TOヒストリー5(NICU→新生児室)
生まれてすぐには1000gを割ってたKO-TOも生後40日(33週)で1500g突破して、保育器から普通の新生児用のベッドに移りました。PAPAとMAMAも一安心
周りを囲まれてないのが落ち着かないのか、しきりにキョロキョロしていたKO-TO=^-^=
その頃から お口に入っていた管も取り 哺乳瓶からミルクを飲むようになると、体重もぐんぐん増え
2~3日で100gずつ増えるようになって来ました!!
いよいよお家に帰るための練習です!!哺乳瓶でミルクをあげたり、お薬のあげ方、沐浴、家での生活指導・・・等おぼえる事はいっぱいありましたが、今までKO-TOが頑張ったから今度はPAPAとMAMAが頑張るね!!
哺乳瓶で初めてミルクあげた時、哺乳瓶の角度とか気にしながら(空気が入らないように)あげていたら、変なところに力が入り次の日筋肉痛でした(^○^)
また、なかなかゲップをしてくれないので、心配になり 何度も看護士さん呼んでましたっけ・・・
沐浴では、普段自分の体さえまともに洗えてないのに、ちゃんとKO-TOのこと お風呂に入れてあげることが出来るのだろうか・・・落しはしないだろうか心配で妙なところに汗かいたものです・・・笑
そして生後51日目・・・ 続きを読む
周りを囲まれてないのが落ち着かないのか、しきりにキョロキョロしていたKO-TO=^-^=
その頃から お口に入っていた管も取り 哺乳瓶からミルクを飲むようになると、体重もぐんぐん増え
2~3日で100gずつ増えるようになって来ました!!
いよいよお家に帰るための練習です!!哺乳瓶でミルクをあげたり、お薬のあげ方、沐浴、家での生活指導・・・等おぼえる事はいっぱいありましたが、今までKO-TOが頑張ったから今度はPAPAとMAMAが頑張るね!!
哺乳瓶で初めてミルクあげた時、哺乳瓶の角度とか気にしながら(空気が入らないように)あげていたら、変なところに力が入り次の日筋肉痛でした(^○^)
また、なかなかゲップをしてくれないので、心配になり 何度も看護士さん呼んでましたっけ・・・
沐浴では、普段自分の体さえまともに洗えてないのに、ちゃんとKO-TOのこと お風呂に入れてあげることが出来るのだろうか・・・落しはしないだろうか心配で妙なところに汗かいたものです・・・笑
そして生後51日目・・・ 続きを読む
2006年12月14日
KO-TOヒストリー4(NICU編2)
NICUにお世話になっている間、未熟児・早産について色々勉強しました。昔は小さく生まれた赤ちゃんや、早産児をひっくるめて「未熟児」と呼んでいたらしいのですが、
今は出生体重、在胎週数、胎児の発育の状態によって分けているのらしいです。
出生体重
2500g未満→低出生体重児
1500g未満→極低出生体重児(KO-TO1114g)
1000g未満→超低出生体重児
在胎週数
37週~42週→正期産
22週~36週→早産(KO-TO 28週)
42週以上 →過期産
早く生まれた赤ちゃんは、外の生活に適応する機能が育ってないので、出生直後、自分で呼吸がスムースにできない
、体温を一定に保つ事が出来ない、ママから十分な免疫力をもらっていないので感染症にかかりやすなどの事が考えられるみたいで、そのため保育器が必要になって来るらしいのです
また母体から十分な栄養を貰ってないので未熟児特有のトラブルもあり、「未熟児貧血」「未熟児黄疸」
体が十分に発達していないので「未熟児網膜症」「呼吸窮迫症候群」(肺がしぼんでくる症状)「無呼吸発作」(息をするのが上手でないので、呼吸を休んでしまう」
などの症状があり、待ったく気がぬけませんでした・・・
薬や光線療法で治療するのが一般的で
検査も頻繁で、特に「未熟児網膜症」(網膜の血管が十分に伸びてなく、最悪網膜はく離を起こして
失明するケースがある・・・スティビーワンダーがこのケース)
この検査はまぶたをを器具で広げて検査するので、痛いらしく、泣き声と検査後の目の腫れを見てると
親としてとっても辛い気持ちになります。
おかげさまで何事もありませんでしたが、KO-TOにはとっても辛い思いをさせたと思います。
NICU自体はお友達が側にいて、保育園・・・って感じでとってもほんわかしてました
たまに遊びに来た卒業生(NICUでは退院した子供のことをこう言います)のおっきくなった姿を見てはこんなにおおきくちゃんと育ってるんだ・・・ママと二人で顔を見合わせ、KO-TOをダブらせ
勇気づけられたものです
おんなじ思いを今がんばているパパ・ママに感じてもらいたく、近くに寄った際は必ず立ち寄るようにしています!!
頑張るんだよみんなp(*^-^*)q
あとNICUには基本的に両親しか入る事が出来ません・・・・
もちろんじいじとばあばもです。
早く抱っこしたかったろうに、いつも窓の外であたたかく見守っていてくれたじいじとばあばにも感謝!!
今は出生体重、在胎週数、胎児の発育の状態によって分けているのらしいです。
出生体重
2500g未満→低出生体重児
1500g未満→極低出生体重児(KO-TO1114g)
1000g未満→超低出生体重児
在胎週数
37週~42週→正期産
22週~36週→早産(KO-TO 28週)
42週以上 →過期産
早く生まれた赤ちゃんは、外の生活に適応する機能が育ってないので、出生直後、自分で呼吸がスムースにできない
、体温を一定に保つ事が出来ない、ママから十分な免疫力をもらっていないので感染症にかかりやすなどの事が考えられるみたいで、そのため保育器が必要になって来るらしいのです
また母体から十分な栄養を貰ってないので未熟児特有のトラブルもあり、「未熟児貧血」「未熟児黄疸」
体が十分に発達していないので「未熟児網膜症」「呼吸窮迫症候群」(肺がしぼんでくる症状)「無呼吸発作」(息をするのが上手でないので、呼吸を休んでしまう」
などの症状があり、待ったく気がぬけませんでした・・・
薬や光線療法で治療するのが一般的で
検査も頻繁で、特に「未熟児網膜症」(網膜の血管が十分に伸びてなく、最悪網膜はく離を起こして
失明するケースがある・・・スティビーワンダーがこのケース)
この検査はまぶたをを器具で広げて検査するので、痛いらしく、泣き声と検査後の目の腫れを見てると
親としてとっても辛い気持ちになります。
おかげさまで何事もありませんでしたが、KO-TOにはとっても辛い思いをさせたと思います。
NICU自体はお友達が側にいて、保育園・・・って感じでとってもほんわかしてました
たまに遊びに来た卒業生(NICUでは退院した子供のことをこう言います)のおっきくなった姿を見てはこんなにおおきくちゃんと育ってるんだ・・・ママと二人で顔を見合わせ、KO-TOをダブらせ
勇気づけられたものです
おんなじ思いを今がんばているパパ・ママに感じてもらいたく、近くに寄った際は必ず立ち寄るようにしています!!
頑張るんだよみんなp(*^-^*)q
あとNICUには基本的に両親しか入る事が出来ません・・・・
もちろんじいじとばあばもです。
早く抱っこしたかったろうに、いつも窓の外であたたかく見守っていてくれたじいじとばあばにも感謝!!
2006年12月12日
KO-TOヒストリー3(NICU編)
KO-TOは生まれて約2ヶ月小児科のNICU(乳幼児集中治療室)にお世話になる事になりました。
最初は見るのも痛々しいくらい体中に色んな管が通っていたKO-TOそれがだんだんと外れていくのが楽しみでした!!
NICUのスタッフもいい人たちばかりで、KO-TOのお世話もしっかりしてくれ、初めての経験で不安でいっぱいのパパとママをいつも励ましてくれ、勇気付けてくれました!!
そして周りのお友達のパパやママもお友達になり、お互い勇気付けられました
メッセージノート
看護士さんとぱぱ・ママの交換日記のようなもので、あえない時間帯のKO-TOの様子とか仕草を事細かに書いていてくれ、自宅で読むのが楽しみでした!!
保育器の中でのKO-TOはやっぱり暴れん坊で
酸素のチューブをいらない!!って自分で外したり、心電図の体につけるやつを外したり、授乳用のチューブを引っこ抜いたりで大変だったらしいです・・・
今となれば笑い話になりますが、当時はホンと冷や汗もんでした!!
カンガルーケア
両親と子供が直接肌を合わせてスキンシップを取ることで、ぬくもりや・匂いや鼓動を感じた子供が
安心したり、落ち着いたりする為のケアです
この時間が一番好きでした!!
もちろんNICUは無菌室で専用の服を着て、手洗いは念入りに・・・
当時土仕事をしていたパパはなかなか汚れが落ちなくて四苦八苦してました・・・笑
未熟児で生まれると、未熟児網膜症、や低カルシウム症など母体から十分な栄養分が摂取出来なかったため、色々な症状、後遺症が出るそうなのですが、その事はまた今度書きますね
2006年12月07日
KO-TOヒストリー2(誕生編その2)
KO-TOが生まれてからママは体中、管がいっぱいで痛々しそうなKO-TOを見ながら
小さく生んでごめんね・・・・
といつも保育器越しに謝ってました
授乳室で、赤ちゃんに乳あげてるのを横目に、一人涙をためながら
搾乳してました
ごめんね琴音・・・・・
自分もママにかけてあげる言葉がなくやるせない状態でした
その時、ある本に
赤ちゃんが生まれてくる順番は、神様が決めるものであって、未熟児の赤ちゃんは
このパパとママならば充分に愛情ふりそそいでくれるから安心だよ・・・・・
と送り出してくれるそうです・・・
この文を読みなんか目からうろこが落ちたと言うか
3ヶ月も長くKO-TOと一緒に長く生きられると思ったら途端に肩の荷が下りた感じがしました!!
それからの約束・・・いつも笑顔でいようね(*゚▽゚)ノ
心電図の音が今でも耳に残ってます
20時までの面会時間だった為
宜野座から那覇市立病院まで毎日高速使って会いに行きました
長くても30分なのですが、毎日会いたくて会いたくて・・・
パパの顔見て安心してか 笑ってくれるんですよ
小さく生んでごめんね・・・・
といつも保育器越しに謝ってました
授乳室で、赤ちゃんに乳あげてるのを横目に、一人涙をためながら
搾乳してました
ごめんね琴音・・・・・
自分もママにかけてあげる言葉がなくやるせない状態でした
その時、ある本に
赤ちゃんが生まれてくる順番は、神様が決めるものであって、未熟児の赤ちゃんは
このパパとママならば充分に愛情ふりそそいでくれるから安心だよ・・・・・
と送り出してくれるそうです・・・
この文を読みなんか目からうろこが落ちたと言うか
3ヶ月も長くKO-TOと一緒に長く生きられると思ったら途端に肩の荷が下りた感じがしました!!
それからの約束・・・いつも笑顔でいようね(*゚▽゚)ノ
心電図の音が今でも耳に残ってます
20時までの面会時間だった為
宜野座から那覇市立病院まで毎日高速使って会いに行きました
長くても30分なのですが、毎日会いたくて会いたくて・・・
パパの顔見て安心してか 笑ってくれるんですよ
2006年12月06日
KO-TOヒストリー(誕生編)
2005年5月17日午後2時梅雨のさなか晴れ間が見えた午後2時KO-TOは産声を上げました・・・
産声を上げた途端すぐに人工呼吸器をつけられ 我が子を手に取ることも出来ず、そのままNICUに直行・・・・・
1114グラムと 両手にすっぽり入るくらいのとってもとっても小さな女の子・・・・・
パパもママも不安でいっぱいでした
でも出産して2日後初めてKO-TOに面会した時パパとママの顔を見て、確かに笑ってくれたよね!!
初めてのカンガルーケアーでKO-TOを抱っこした時
パパ緊張で変な汗かいてたっけ・・・
でもKO-TOのぬくもりとちっちゃいながら
しっかりと伝わってくる鼓動に頑張ってるKO-TOを感じいつの間にか涙がにじんでました・・・・・
日々10g単位の体重増減に一喜一憂してました・・・・
産声を上げた途端すぐに人工呼吸器をつけられ 我が子を手に取ることも出来ず、そのままNICUに直行・・・・・
1114グラムと 両手にすっぽり入るくらいのとってもとっても小さな女の子・・・・・
パパもママも不安でいっぱいでした
でも出産して2日後初めてKO-TOに面会した時パパとママの顔を見て、確かに笑ってくれたよね!!
初めてのカンガルーケアーでKO-TOを抱っこした時
パパ緊張で変な汗かいてたっけ・・・
でもKO-TOのぬくもりとちっちゃいながら
しっかりと伝わってくる鼓動に頑張ってるKO-TOを感じいつの間にか涙がにじんでました・・・・・
日々10g単位の体重増減に一喜一憂してました・・・・